この回は「松本人志 祝還暦SP!」と題して、松本と関係のある後輩芸人たちが集まった。松本に質問攻めにしたり、松本との秘話を暴露したりした。森田も「松本さんのおかげで今がある」と言って、松本の助言で芸人として成功できたという話をした。
その森田は、「2015年の『キングオブコント』の決勝に出場した時に、かなりスベってしまったんです。そこで審査員の松本さんに『床を見てる方が面白かった』と言われて、ボクはそれに対して『何それ』って反発したんです」と、日本一のコント師を決定する大会「キングオブコント」(TBS系で放送)でスベった上に審査員の松本に反抗したことを振り返った。
この時は結果も最下位だったが、これがきっかけで仕事が増えたそうだ。森田は「その後すぐに『ダウンタウンDX』(日本テレビ系)の仕事が入ってきたんです。楽屋挨拶に行ったら、松本さんが『お前ら最下位でもスベってるのに、悲しそうじゃなかった。最下位のヤツがあれだけ元気だったのが良かった。だから呼んだ』って」と、松本に反抗したことで仕事が舞い込んできたことを明かした。
さらに、この経験からスベった時こそ落ち込まずに、反発したりすることが重要だと感じた森田は、後輩のお笑いコンビ・ニューヨークが日本一の若手漫才師を決定する大会「M-1グランプリ」(テレビ朝日系で放送)の19年大会に出場することになると、ニューヨークのツッコミ担当の屋敷裕政に「お前どれだけスベって、どれだけ点数低くても、松本さんが何か言ってきたら、わっ!ってやれよ」と、アドバイスしたことを説明した。
そして、「ニューヨークも点数が伸びずに、松本さんが言った一言に屋敷がわっ! って言って、そこからニューヨークが売れ出した。だからニューヨークが売れたのはオレのせいなんですよ」と、自分のアドバイス通り、屋敷も審査員の松本に反発してニューヨークも成功したと分析した。
「ニューヨークは19年の『M-1』で最下位でも、松本から『ボクはあまり好きじゃない』と酷評されると、屋敷が割り込んで『最悪や!』と叫んで、注目された。確かにこの件でニューヨークは最下位だったけど、強い印象を残すことができたが、それが森田の指示だったとは驚きだったね」(エンタメ誌ライター)
また、屋敷は21年の「キングオブコント」の決勝でも、1stステージ敗退が決まると、屋敷は審査員の松本を指さして、「松本さんが『笑うな』と言ったからや! あれは不正だ。あれは絶対に駄目だ」と、怒鳴って反発している。
「2回も反発するということは屋敷にとっても何か感じたことがあったからこそだろうが、この騒ぎで屋敷のSNSには批判のメッセージも届いたそうで、アンチが増えた。“黒幕”の森田の存在を公表したくなる気持ちも少しはあったかもしれないが、今回、森田が裏話を話してくれて、屋敷も安心したのではないか」(エンタメ誌ライター)
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